我々は戦争を知らない。
モニター越しのゲームじみた、ショッキングな出来事をそれぞれ心の中で必死に揶揄するだけだ。
戦争の悲惨さを身をもって体験出来なかった人間でこの国は間もなく埋められる。
歪曲された情報に左右される感情論しか無くなる。
右でも左でもどちらでも構わないが、各地で万単位の人命が失われた事実だけは色褪せてはならないと思う。
今、この国の為に命を投げ出す覚悟はきっと誰にも無いのだから。
色々、本当に色々、アタマの中を過る。
五月蝿くて堪えられない程に。時間ばかりが過ぎ去るが、それは決して悪い事ではないと思いたい。
止めどなく、過ぎ去る自傷行為に疲れ果てる前に、おれたちは誰かの為になる物を、事を。
欺瞞に塞がれる。過去に繋がれる。未来は一秒先にある。ピカッっと光ったら、それまでだった。
信じるものは救われる?
そんなのは宗教の大いなる欺瞞だ。
念仏を唱えたって、菩薩を心に呼び覚ましたって、死は一瞬先に置かれている。
やれることをやる。
一番簡単だが、結局、それを確認する術すら無い。
思う事を辞めたら、則ち聖人か廃人だ。
故に、音楽が存在している。
生命と同等の。
音楽は最高である。
下らない文化とはおさらばしよう。
黙祷
高速道路は充分に思考する時間をくれるかに思えた。
思い起こせば物心ついたときには既に祖母はねぶた祭りの花笠の踊り手であった。
夕方、地面を這うリズムの振動に心躍り、正装で着飾った祖母は小さなおれの手を引き、沿道まで連れて行く。祖父の勇姿を観たさに沿道に出るのだ。壮烈な太鼓の音色に幼いながらも陶酔感を得る。祖父が叩き、その前方では祖母が美しく舞う。母もどこかで太鼓を叩いているのだ。
バケトはぐるぐると子供達にまとわりつき、脅かす、笑わす、付いて来させ、誘導する。
汗が流れ出すとともに草履はアスファルトには合わないことを子供ながらに知る。
熱狂する群衆の放つ異様な高揚感は行く先々の沿道に光を放つ。ハネトは光と同等の存在なのだ。おれはそこで初めて心に宿る謂われも無い畏怖と敬意を感じたのだと思う。
母代わり。
祖母はおれを心から愛してくれた。溺愛とはこのことで、ある種恥ずかしさを伴うくらいのものだった。
最後迄あの元気な声は通っていた。か細くなった手も暖かかった。おれの手を最後に握った日、祖母はいつも通りの口癖を空虚な病室で呟くのだった。すべてを取り込む空洞のような、人への愛で満たされた人生。貴女は最高な女性だった。
おれを待っていたかのように、翌日未明、誰にも迷惑を掛けず、新たな光る道へと旅立った。
突然病室に見舞ったおれを見て吃驚し、涙を流しながら「さっぱりした」と幾度か言った。
末期癌の苦痛から逃れられたことを、その謂われも無い存在に感謝した。
おばあちゃん、安らかに。今迄本当にありがとう、お疲れさま!
貴女がきっと踊りたくなる曲を作るよ。さっちゃんと仲良くね!!
おれはまだまだちゃんとやれてない。だからもう少し待っててよ。
高速道路は何もくれやしなかった。
時間が停まっていただけなんだ。
今、動く。
再始動。
祖母が癌再発で入院した。もう長くないでしょうと医者から宣告をされた母。二人は仲が悪すぎた。この期に及ぶまで。二人は仲が良すぎた。電話越しに聞いたことの無い掠れた母の声。これには行き先もなく項垂れた。
孤独は常にそばに在るのだが。